前略、

しがないオタクのひとりごと。

実感

そんなものはない。

 

発表のあった3月も、そこからの半年以上も、そして今日、11月1日も。

結局、ただの一度もV6の「解散」を感じられなかった。

 

生涯をかけて応援したといえるほど自分は深く深くのめり込んだ訳ではないし、彼らの歴史の半分も知らない。本当にゆるくゆるく六人の姿を応援していただけだけど、こんなにも受け入れられない。

悪い意味ではなく、でも決して良い意味でもなく、ただ受け入れられない。

現実のものとして理解できない。

 

でも多分、理解できないのは、V6のせいだ。

笑ってまたねで終わらせたいなんて言うから、明日から「V6の」という接頭語が外れる事実がいつまで経っても現実にできない。

 

だって、他でもない6人が「V6のことが大好きでたまらない」って顔をしているのに、V6を終わらせようなんて、そんなの、あまりにも無茶だろう。

 

本当は「解散なんてするな、一生V6でいてくれ」って叫びたい。ありがとうなんてたった5文字の言葉で笑って見送りだせてしまうほど、自分は物わかりのいい人間ではない。みんなV6のことが好きなんだから一生V6のままでいいじゃんって子供みたいに駄々をこねたい。歌わなくていい、踊らなくていい、ただV6としてそこに在り続けてくれればいいから、V6が終わりだなんて言わないで、なんてメンヘラ彼女みたいなことを言いたい。

 

とはいえ自分にはV6以外にもたくさん好きなものがあって、V6がいなくても明日からをきっと上手に生きていけてしまう。

 

そのことがすごく寂しい。

 

受け入れられないのではなく受け入れたくないが正解なのかもしれない。V6がいない世界を認めたくないだけかもしれない、否、V6がいなくても生きていけてしまう自分のことが許せないのかもしれない。

 

それすらもよくわからない。

 

でも井ノ原さんが「解散したことないからどうすればいいか分かんない」って言ってて、ああ、分かんなくてもいいのか、と。

好きなグループがこんな綺麗な形で段取りまで決めて完璧なお膳立てとともに解散する状況は自分も初めてだし、無理して分かる必要ないかと思って。

 

だから、お疲れさまでしたとかありがとうとか言わなくてもいいかなって。

 

いつかどこかで「ああ、V6って解散したんだ」って腑に落ちる日が来るかもしれないから、それまでは実感しようとか寂しがろうとかしなくていいかなって。

 

とりあえずそんな感じで。